- 2008/10/05 01:05
- Posted by 藤堂ひより。
- Category:日常, vol.4,6 忍者ブログ時代
ぐはぁo
コメントいただいてた方々、遅くなりましたがレスさせていただきましたo
ほんと、いただいておきながら遅くてすみませんo
東京へ帰りますよo
仕事どんだけ休んだんだろう…o
忙しい時期にかなり迷惑かけてしまったなぁo
仕事してたって迷惑かけてるのにさぁ・・いいとこナシだね、私o
昨日のうちに記事書こうと思ったのに、日付変わっちまったo
サイトに会津まつりの写真をアップしたりしてましたo
今まで借りて作っていた某アルバムですが、、
ちょっと編集しづらいし、扱いにくいんでネサフして
フリーウェアかレンタルできるとこ探して探して・・・
いろいろ試しに使ってみたんだけど、全部納得いかなくて・・しっくりくるのなくてねぇ。。
自分で作ったほうが早いのかと思ったんだけど、
やっぱり大変じゃん?手間かかるし・・
で、最後に見つけたので試しに作ってみてますo
作ったはいいけどうpの仕方がわかんなくて、うまくいかなくて・・悪戦苦闘したんだけど、
なんとか形にはなってきましたo
2日間分だけ、適当にコメント入れてあれで完成≪爆≫
残りの2日はコメント入れてないけど、写真だけうpしましたーo
まじ、何回やり直したことか・・もっとサクサクいきたいもんだねo
以後、ちょっと暗くなるので、注意ですo
思ったこと書きますんで、いつものことながら、読んでもなんもおもろくありませんo
↓それでもよろしい方はどぞ↓
日記だからさ、ちゃんとこういうことも書いておこうねo
忘れないようにo
早いねぇo
私さ、人が死ぬってこと、今まで全然わかってなかったんだよねo
近い人が、大好きな人がいなくなってから、やっとわかったどういうことかo
もう触れない、離せない、笑いあえないってのが、どういうことかo
私に残るのは、後悔ばっかりでさ
もっとこうしてればよかったとか、
そんなのばっかりo
もうかなわないのにo
9/26の午前中に母からメールが来てて、
気づいたのはお昼に携帯を開いた時だったo
「ばーちゃん、危篤だってo 仕事早退できる?」ってo
まさかと思ったねo
24日に手術してから一度も目覚めることなく、意識が戻ることもなく・・
大体、病院にも疑問が残るんだよo
・・言わないけど、言わないけどね。。。
だって、医療ミスだなんて思いたくないしo
ばーちゃんも、そんな風に考えるなっていいそうだしo
26日、職場の人に話したら、早退してもいいと言っていただいたので、
すぐに家に帰って、母の帰宅をまってから
飛行機で秋田へo
父親は愛知から新幹線追いかける形o
動揺して全然頭が働かないんでしょうね・・・なんで、愛知から飛行機で来なかったんだろo
天候の関係で45分遅れましたが、空港からタクシーで病院に直行o
18時過ぎに着くo
集中治療室から出たばあちゃんは、一番奥の個室にいたo
1週間前に会ったばっかりなのに、次はお正月だねって言って別れたのに、
布団ほしておかなきゃねぇって言ってたのに
次に見るばあちゃんは、別人のようで。。。
ショックだったけど、そんなショック受けてほしくないだろうから、
そのショックがばーちゃんにもわかってしまいそうだから、涙をこらえて、話しかけたo
母は泣いてたけど、私は泣くまいとo
回復するかもしれないし、悲しいことじゃないって・・・
ばーちゃんのそばを離れたくなくて、ずっと手をにぎって
肩をさすって話しかけて・・
悲しいことだけど、こんなにゆっくりばーちゃんと一緒にいたのは、久しぶりだった気がしたo
最近は隣に座ってゆっくり話をしたりしてなかったしo
手や足もかわいそうなくらいむくんでしまっていて、
目はとじられず、酸素マスクをつけて補助してもらって一生懸命呼吸して
透析はずっとしたまんまo
点滴もいろいろ・・・
ばーちゃんは、こんな風に自分がなってると知ったらショックを受けたと思うo
かわいそうでかわいそうでo
28歳の時に旦那さんを亡くして、ひとりで頑張ってきたばーちゃんがこんな目にあうなんてo
私たちも、ずっとばーちゃんを一人にさせて、、
一緒に暮らせるって思ってくれていたのかな?
それとも、諦めていたのかなo
話しかけるとわかるって看護師さんが言っていて、
私が呼びかけると、目を見開いてくれたりしたo
あぁ、わかってるんだo 私が来たのがわかってるんだなって、嬉しかったo
面会時間が終わっても、個室だからいいって言ってもらって、、
お母さんとばあちゃんと3人でいたo
父は22時前について・・
それから、近くのスーパーで遅いごはん買って病院で食べてo
父が泊まることになって、タクシーでばーちゃんのいない家に帰ったo
次の日は母と父が交代するので、一緒についていくつもりだったけど、
先に母が行って、先生から説明を受けるのに、父も一緒にいるそうで、
家で留守番o
お昼過ぎてから、病院に来るように言われて病院へo
親戚の人が来たり、近所の人が来たりo
みんな泣いてたo
それから、ばーちゃんの傍にいたりしてて、
ふと、下に飲み物を買いに降りて、休んできていいって言われたから、
近くの本棚にあった童話を読み始めたのo
なんとなくo
どれくらい読んだか、携帯が鳴ってはっとして、
上がってきて!と母に言われ、急いで病室に戻ると、
先生や看護師さんたちがいて、ばーちゃんの心臓が止まったところだったo
後に一緒にいられず、何してたかって、童話読んでたよ、私o最低o
それからは涙が流れるだけで、声出すこともできず
まだあたたかいばーちゃんの手をさすってさすって・・
弟がくるまで、冷たくしちゃいけないと、おばさんとさすっていたんだけど、
病院側でもいろいろ片付けとかあるんだね・・
ずっとそうしているわけにもいかず、
病室から出て、あとはもうお葬式のこととか手続きとかo
悲しむ暇もないんだな、お葬式って大変なんだo
次にばーちゃんとあった時は、顔に白い布がかけられてて、
病室から出るときに一緒にいたのは病院に残った父と私だけo
それから、病院の仏壇の前で手を合わせて、
私がばーちゃんと一緒に車に乗って家に帰ったo
父は自転車だったので≪爆≫
あとで取りにくればいいだけなのにね・・
布団に寝かされたばーちゃんは、穏やかな表情で、これがばーちゃんだって、、そう思ったo
まだあったかくて、寝てるだけじゃんじゃないかってo
いびきでも聞こえてきそうだったんだけどなo
あの日、透析にでかけて、おなかが痛いからって言ったらすぐ入院になって・・
初めて帰ってきたんだよねo
こんなつもりじゃなかったのにねo
仕事の都合でこれなかった弟が来た時には、弟も号泣して
それを見た母も私も泣いて・・ほんと、ずっと小さい頃からばーちゃん大好きだったんだよね、私たちo
お通夜も納棺も火葬もお葬式も、すごくいろいろあったけど
わかったのは、ばーちゃんがすごい人で、素敵な人で、
みんなに愛されてるんだってことo
確かに、悪口を言われるような人じゃないもんねo
すごく素敵な人が私のおばあちゃんだったんだって、知ったo
料理も踊りも裁縫も絵を描くのも歌を歌うのも、すごく好きで上手で
明るくて優しくて面白くて強くて・・あたしの理想の女性がばーちゃんなんだって、そう思ったo
私もばーちゃんのようになりたいよo
弔辞を読むことになった時は、どうしようかと思ったけど
書こうと思ってみたら思い出がありすぎてまとまらなかったo
泣いてちゃんと読めなかったo
隣には弟がいてくれて、その数日は弟と少しずつ話すようになったo
お葬式のあとは、お疲れ様ってビールついでくれたしねo
これから距離が縮まるといいo
ばーちゃんもきっと心配してるだろうからo
まだ実感できてない気がしないでもないo
だって、またお正月には、お盆にはばーちゃんに会いにいきそうだもんo
秋田に行ったら、いつもみたいにソファに座ってテレビ見てそうだもんo
すぐに思い出せる声も笑顔も手も、思い出せなくなる日がくるのかなo
それは怖いよo
怖いo
こんな内容、まとめることなんてできないねo
何が言いたいのかわかんないもんo
あったことだけ、とりあえず忘れないように書いとくo
やっぱり大好きだわ、ばーちゃんo
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ひろし
身内が亡くなるってすごい悲しいよね・・・俺も婆ちゃん亡くなった時すごい後悔したし、しばらく信じられなかった。
ゆっくり天国で見守ってくれてるといいね!